MS-DOSしかなかった頃とあきらめないこと

2021.2. 5

ソフトウェアの会社がDM手書きっておかしいだろ

awk(オーク)という言語を知ったの平成4年(1992)くらいのことだったと思う。その頃は異動で札幌におり、札幌では知名度の低い会社だったので、セミナーを開催して見込み客を集めていた。集客に当たってはメーカーから見込み客リストが支給してもらい、それを元にダイレクトメールを出していたのだが、もちろん宛名は手書きである。メーカーにはデータがあるのに、なぜ手書きしなくちゃいかんのか。馬鹿々々しいのでテキストを支給してもらってパソコン用のデータベースに取り込むことにした。ところがデータの整理がされていないので不要な項目がやたらにあって、当時の非力なパソコンでは重たすぎる。無駄を省くためデータを成形する必要に迫られて、その方法を調べた際に知ったのがawkである。

今でこそ Perl(パール)や Ruby, Python, PHP(ルビー、パイソン、ピーエイチピー)と簡単にテキスト処理ができる言語は珍しくないが、平成4年くらいだとパソコンの開発言語は C が主流で、分野によって COBOL や FORTRAN が一部で使われているくらいの頃だ。経験者ならわかるだろうが、テキスト整形は C ではちょっと面倒にすぎた。というより、C言語なんか高くて買ってもらえなかった。大きな声では言えないが、データベースだってお客さんからカジュアルコピーしたMS-DOS版のカード型データベースなのだ(ちなみにリード・レックスが出していたF1 DATA-BOX)。

11万分の1って想像つくか?

当時様々なコンピュータ関連書籍・雑誌を読み漁っていたので、UNIXの世界にはテキスト処理言語と呼ばれる言語があるらしいということ、それは awk といいい、MS-DOSでは jgawk というプログラムが使えるらしいということなどは知識として知っていた。ただし、読み方がまったくわからず jgawk はジェイジーエーダブルケーなのかジェイゴークなのか不明だった(今考えると ジェイジーオークが正解)。今のようにインターネットが普通にある時代ではない。会社にはNIFTYアカウントはあったけれど、電話代がかさむので上司がいい顔をせず、NIFTYでダウンロードするのは気が引けた。しょうがないので個人で jgawkがフロッピーで付いてくる参考書籍を注文して、ようやくプログラムを入手した。言っておくがAmazonなんかないし、それどころか携帯電話だってない。なんとなく気が咎めながら会社の電話をつかって紀伊国屋に注文し、入荷までに一週間くらいかかったと思う。

ところが取り寄せた参考書があまりいい出来ではない。はっきり言って分かりづらい。会社には東京でUNIXの仕事をしていた同僚もいたので教えを乞うたが、awkなど使ったことがないという。プログラマはわざわざ新しい言語を覚える必要などなく、自分が使える言語で処理すればいいので、案外こういうコマンドには疎かったりするのだ。
ようやくのことでプログラムを動かしてみると、今度は元データが大きすぎて使えないということが判明した。信じられないかもしれないが、MS-DOSのパソコンは基本的に640KBのメモリで動いている。富士通のFM Rシリーズはメモリ空間がいくらか大きくなっているが、それでも768KBである。これが上限なのだ。今の標準的なパソコンが8GBのメモリで動いているとしたら、11万分の1のリソースしかない。1/110000マラソンの49.195キロメートルの11万分の1は45センチメートル、体重100キログラムの11万分の1は0.9グラムである。ともかく信じられないくらい少ないメモリで動いていたのだ。限界があることはわかっていたが、いざ壁にぶち当たるとやはりがっかりした。

世間にはMS-DOSしかなかった

残念なことに世間にはMS-DOSしかなかった。メモリ空間が広がる Windows95が登場するのはさらに3年後の話である(Windows3.1は出ていたが、あんなものはWindowsの皮をかぶったMS-DOSでしかない)。Macintosh もあったが、ビジネスに使えるコンピュータではなかった。そういえばIBMのOS/2ってのもあったが、既にMicrosoftに見限られたオワコンだった。要するにMS-DOSしかなかったのだ。だが、広い世界にはUNIXというOSがある。当時、声高に叫ばれていたダウンサイジング(当時流行っていた、というか某社が流行らせたかったバズワード)によって UNIXの世界で使われてきたデータベースシステムやミドルウェアがどんどんWindowsの世界にもおりてきていた。

UNIXの世界だったら640KBの壁を越えられるんだ!いつかはUNIXの世界に行くんだ。UNIXだったら自由なんだ。憧れのUNIXにさわれる日を夢見ながら、結局、顧客情報はRED2というテキストエディタのマクロ機能で加工した。しょぼいぜ、俺!でもな、なければないで、目的達成の手段はあるんだ。

最初からなんでもあると思うなよ

ここ最近で会社にジョインしたメンバー、特に何年かよその会社で経験を積んだメンバーほど、うちの会社に足りないものが気になるだろう。ルールがない、福利厚生がない、設備がない、あれがない、これがない。ないものばかりに映るかもしれない。

しかし、今あるものは全部先輩社員が努力の上で勝ち取ってきたものばかりだ。他所の立派な会社に比べればないものも多いかもしれないが、あるのが当然と思ってもらっちゃ困る。ないものがあれば、自分で勝ち取ること。うちの会社はそういう会社だ。

目的を成し遂げる方法はいくつもある。今は無理だって、そのうちなんとかなる。頭を使えば別の方法だって見つかる。大事なことはあきらめないことだ。UNIXもあきらめていなかった。憧れのUNIXを動かすことに成功したのは1997年のことだが、それは稿を改めることにする。