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コンピュータ業界に入るまで

だらしないだけの若者

大学を辞めたのは24歳の時だった。立派な理由はない。ただ単に生活がだらしなくて卒業の見込みがなく、それ以上いてもしょうがなかっただけだ。

辞めてどうするという当てもなかった。大学を辞め、学歴もないし、資格もないし、手に職もないし、生活の足しになるような趣味もない。ただ学生時代にバイトでホテルのベルボーイやスナックのボーイみたいなことをしていたので、漠然と飲食業の道を考え、知人の紹介で旭川にあった外食関係の会社に入った。結局そこも2年半くらいで辞め、半年くらいパブでウェイターをしてから帯広に戻った。

仕事探し

そもそも外食の会社を辞めた理由は生活苦のせいだったので蓄えがまったくなく、情ないことに妹のアパートに転がり込んで職探しを始めた。まだハローワークと呼ばれる前の職業安定所に行き、いちおう登録はしたものの面談してくれた職安の人も温度が低くて頼りにならない印象だった。まあ、先方としても何も取り柄のない若者に対してリアクションの取りようがなかったんだろう。

職安が頼りないので(自業自得だけど)、新聞の求人広告をみて仕事を探した。当時多かったのは宅配便のドライバーや引越し業者・建設関係の体を使う仕事や電気部品などの製造、飲食業のホールスタッフなどで、あとは「幹部候補生募集」などという求人もあった。さすがに幹部候補生募集には応募しなかったが、飲食業は懲りており、体力にも自信がなかったので、残るは営業職しかなかった。

まず最初に受けたのは広告会社で、あっけなく落ちた。次にパチンコ店設備の会社を受けて、そこは何度も誘われたのだが、仕事の都合上で土日や深夜の仕事が多いと聞いて辞退した。三つめに受けたのが地元のコンピュータディーラーだった。

たしか午前10時くらいだったと思う。一張羅のスーツを着て面接に行き、会議室へと連れていかれ適性試験を受けさせられた。そのあと、実質的な経営者である常務と面談し、「試験(結果)だと営業もプログラマもどっちでもできそうだけど、どっちがいい?」と訊かれ、その頃はコンピュータのコの字も知らなかったので「営業で」と答えた。常務は「まあ、そうだな」と独り言のようにつぶやき、結果は連絡すると言って帰された。うち(というか妹の部屋だが)に帰って文庫本か何かを読んでいると、夕方になって常務から直接「明日からきなさい」と電話があり、それで就職が決まった。

就職は決まったが

それまで液晶パネルが2行分しかないワープロをちょっと触ったくらいが関の山で、コンピュータなど触ったこともなかった。会社の看板には「富士通ディーラー」と書いてあったので、富士通系のコンピュータの会社だということは知っていたが、ディーラーが何をするところかはまったく理解していなかった。営業だからコンピュータを売る仕事なんだろうなくらいの認識なので、当たり前だが自分が勤まる自信はまったくない。当時27歳、実質的な社会人デビューではあったけれど、将来の見通しが立ったわけではなかった。

自分のコンピュータ業界のキャリアはそんなところから始まっているので、若い頃に多少だらしなかろうがヤンチャだろうがあまり気にしない。経験の有無も重要だと思わない。大事なのはそこからの努力だと思っている。

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